目標を持つから苦しくなる!?目標を持たない生き方へ


スポンサーリンク


こんばんは、分散型ライフのエンジです。

目標を持って物事に取り組んでいますか?

小生は目標設定を行っていました。年齢毎に目標設定を行って人生のプランニングをするべきだという文言の影響を受けて、目標を立ててました。

しかし、目標というのは得てして自分を苦しくする要因であると思いました。目標の達成難易度を下げれば良いとか、成功体験を得ることでモチベーションアップに繋がるとか、目標設定のコツというのもありますが、そもそも「目標」ということについての解釈が誤っていました。

目標を立ててから行動するという順序は誤っていると思います。

それでは、目標を持つと苦しくなる理由や目標を持たない生き方についてお話していきます。

なぜ目標を立てるのか

まずは目標設定について考えてみます。

なぜ目標を立てる必要があるのか、なんとなく理由はわかりますよね。

よく書籍で見受けられる模範解答は以下となります。

「中長期的に物事を取り組む際には、予め目標設定を行ってから行動に移り、節目においてフィードバックを行って行動修正していく。PDCAサイクルを回して、モチベーションを維持しつつ効率的に物事を達成するためにも目標を立てる必要がある。」

ということです。

つまり、「計画的、効率的、モチベーション維持」を保つために目標を立てるということみたいです。

スポンサーリンク

目標を持つと苦しくなる理由

 目標設定は物事を遂行する上で多くのメリットが享受出来そうですが、段々と心が疲れてきて苦しくなります。なぜでしょうか。

それは、目標との乖離です。

目標に対する現時点での到達度に差異があればあるほど、精神的に悪影響を与えます。

例えばランニングを例に挙げます。

「週〇〇回走る予定だったけど、色々予定があって数回しか走れなかった」

「今週は○○kmしか走れてないや」

「タイムが落ちてきているなぁ」

上記のような感じですね。物事を遂行しているのにも関わらず、目標に至らなくて自己嫌悪に陥ってしまいます。

そうであるならば、目標のハードルを下げれば良いのではと思いますよね。ですが達成難易度が低い目標は、目標設定のメリットである「効率的、モチベーション維持」ということを享受出来ないと思います

低い目標を達成しても「まぁ、これくらい普通だよな」という感情を抱きやすいですし、「この目標は達成出来るから維持していこう」と思えば効率的という側面から外れますし、「次は目標を高くしよう」となればいずれは目標との乖離で苦しくなります。

目標を持たないデメリット

続いて目標を持たない場合のデメリットについて考えてみましょう。

これは先程のメリットの裏返しとなりますが、加えて「目標がないと何をやれば良いかわからない」「道標がないと行動出来ない」という側面があるかと思います。

果たしてこれらはデメリットとなり得るのでしょうか。

目標設定のメリットは、目標設定→行動というプロセスに基づいて考えられています。

小生としては目標設定という最初のプロセスが不要であると思うので、メリットが得られる根拠から逸しているためデメリットにはならないと思います。

ですが、「目標という道標はあるべきなのでは?」「行動の明確化が必要なのでは?」と思いますよね。1つ1つ掘り下げて考えてみましょう。

目標が無くても取り組める

目標という道標は不要です。道標が必要であるということは、心の何処かでやりたくないという思いがあるはずです。そのような状況で物事に取り組んでも上手く行きません。

英語学習でもランニングでもよいですが、その物事に本当に取り組みたいのか自問自答してみて下さい。

もし、「英語が話せるようになりたい」とか「ランニングしたい」という思いが本心から生じるものであれば、目標なんか無くても勝手に英語の勉強をしてますし、走り出してます。そしていつの間にか英語でコミュニケーションが取れるようになったり、フルマラソンに出場していると思います。

目標という客観的な指標に囚われていませんか。

今一度自問自答してみましょう。

効率的な手段は事前検討出来ない

目標があれば効率的に物事が進めるということですが、これも不要な考えだと思います。

予め効率的な手段を考えたとしても、結局は「あーでもない、こーでもない」と紆余曲折しながら物事を進めていきます。そして行動をしていくうちに、自分なりの効率化を編み出す事が出来ます。

例えば英語学習を例に挙げると、単語カードを作る、ノートにひたすら単語を書く、スマホのアプリに単語登録してシャッフルする、単語を録音して聞いて覚える等あります。しかしこれが効率的か否かは個人差があり、人によって千差万別です。自分で学習していくうちに、これは記憶しやすいなと思えばそれが個人にとって効率的な手段となります。ですので、学習する前から効率的な手段を編み出す事は出来ないと思います。

従って事前に目標設定を行って効率的に物事を進めようと思っても、何度もリバイスすることが目に見えてますし、意味が無いと思います。また、先程申した目標との乖離で苦しくなると思います。

目標ではなくて欲求に従う

事前に目標を持つことに有用性が無いということを話してきました。そして目標ではなくて欲求に耳を傾けてみましょう。

どういうことかというと、「来年はフルマラソンに出場する」という目標ではなくて、マラソンを続けているうちに「フルマラソン出てみたいなぁ」という欲求が生じたらそれを重んじるということです。

英語学習なら「まずは日常英会話!海外一人旅経験後に、ビジネスレベルまでスキルを伸ばす!」ではなくて、英語の勉強を続けているうちに「実際に外人と話してみたいなぁ、そうだ一人で海外旅行に行ってみよう」「結構話せるようになったかも、ビジネス用語ってどういうのがあるのかな」という形ですね。

目標を達成するよりも、欲求を達成する方が心が満たされて幸せになれると思っています。

「目標設定→行動→達成」のサイクルではなくて、「行動→欲求→達成」のサイクルにしましょう。

目標を持つ生き方ではなくて、欲求に従った生き方がベストだと個人的に思っています。

以上、「目標を持つから苦しくなる!?目標を持たない生き方へ」でした。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

    スポンサーリンク
    スポンサーリンク

    コメント

    1. かまいたち より:

      目標と欲求って何が違うのでしょうか?「フルマラソンに出たいな」というのは「フルマラソンに出る」という目標と何が違うのですか?